20勝して一人前。権藤博が輝きを放った「ピッチャーが天下の時代」

今の時代と「ピッチャーが天下の時代」が連なって語られ始めていることはもっと意外だが、当時の投手は皆、30勝が目標だったのだろうか。
「別に僕は、30勝を目指していたわけじゃなくて、プロに入る以上は最低10以上は勝ちたいな、と思ってたわけですよ。ところが、そんな満々たる自信もなかったのが、やってる間に、人を見てる間に、なんだ、これだったらオレのほうが……と思うようになって。終わってみれば、30超えてた、みたいな」
 今の投手たちの印象を聞く間もなく、急激に時代がさかのぼる。権藤さんは佐賀の鳥栖高からノンプロ(社会人野球)のブリヂストンタイヤに進み、ここで投手として成長を遂げた。徹底的な走り込みによって、スタミナだけは絶対の自信を持っていたという。
 そのノンプロ時代の4年間、1957〜60年のプロ野球の最多勝投手が凄まじい。まず、パ・リーグは57年に西鉄の稲尾和久が35勝、58年も稲尾で33勝、59年は南海(現・ソフトバンク)の杉浦忠で38勝、60年は大毎(現・ロッテ)の小野正一で33勝。セ・リーグは57年に国鉄(現・ヤクルト)の金田正一が28勝、58年も金田で31勝、59年は巨人の藤田元司で27勝、60年は巨人の堀本律雄で29勝。
 それ以前にも30勝投手はいるが、権藤さんにとってのプロ入りまでの準備期間は、特に30勝前後の投手が並んでいるのだ。

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