20勝して一人前。権藤博が輝きを放った「ピッチャーが天下の時代」

これは、雨天中止以外、権藤さんが常にマウンドに上がっていたという連投状態を、当時のマスコミが表現したものという。
 実際、61年の中日の全試合結果を見ると、権藤さんは5月末に初めて3試合連続で責任投手になっていて、その後、3度も4試合連続がある。このうち最も強烈なのは、8月27日の阪神戦ダブルヘッダーに連投して連勝、29日に国鉄戦で敗戦投手、30日の同戦で勝利投手になっている部分だ。実に4日間で3勝1敗。69試合登板で35勝19敗ゆえ、勝敗のつかない試合が15あったことを踏まえると恐ろしくなる。持参したページのコピーを指し示すと、権藤さんは小刻みにうなずいてから口を開いた。
「だからね、とにかくリリーフすれば、次の日もリリーフ。次の日もリリーフ。リリーフのチャンスあればね。で、ないと、中1日か2日空いたら先発。で、先発したら、また次の日、チャンスあったら投げる、みたいな。それで429イニングとか、69試合とかになっちゃったんだけど。ただ、自分としては、すごくうれしかったんですよ」
 それだけ投げた、という充実感がうれしさにつながったのだろうか。
「濃人さんに『稲尾でも、杉浦でも』と言われたことです。なんとか10勝以上を挙げるぞ、なんて思ってたのに、あの人たちと一緒に扱ってくれた、ということが。稲尾さんはその年に42勝やる、杉浦さんは38勝4敗で日本シリーズ4つ勝つとかね、そんな夢みたいな記録の人とオレも一緒か、という。

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