「両方打ちゃあいいんだ」。柴田勲は、いきなり監督命令でスイッチに

「両方打ちゃあいいんだ」。柴田勲は、いきなり監督命令でスイッチに

「両方打ちゃあいいんだ」。柴田勲は、いきなり監督命令でスイッチにの画像

「令和に語る、昭和プロ野球の仕事人」 第3回 柴田勲・前編
 平成の世にあっても、どこかセピア色に映っていた「昭和」。まして元号が令和になったいま、昭和は遠い過去になろうとしているが、その時代、プロ野球には魅力的な選手たちがゴロゴロいて、ファンを楽しませていたことを忘れずにいたい。
 過去の貴重なインタビュー素材を発掘し、個性あふれる「昭和プロ野球人」の真髄に迫るシリーズ。今回は、巨人戦中心のナイター中継で全国のお茶の間にもおなじみだった”スピードスター”柴田勲さんの証言を伝える。

1966年、南海との日本シリーズは大活躍でMVP。背番号は12だった(写真=共同通信)


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 柴田勲さんに会いに行ったのは2007年6月。もともとのきっかけはスイッチヒッターだった。編集者との打ち合わせで「日本プロ野球初のスイッチは誰なのか」が話題になった。パッと思い浮かんだのが「元祖」とされている柴田さんだったが、いきなり挑戦したとは考えにくい。日米いずれかで参考にした先達がいたはず、ということで資料を当たってみた。
 アメリカでは、1870年に左右両打席に立った選手がいたことが記録に残っていて、それが第1号といわれているという。ただし本格的なスイッチヒッターの登場は20世紀初頭で、たとえば、1919年からジャイアンツとカージナルスで活躍した二塁手のフランキー・フリッシュ。

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