本人が自負。「巨人V9を支えたのは柴田、高田、土井、黒江の好走塁」

本人が自負。「巨人V9を支えたのは柴田、高田、土井、黒江の好走塁」

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「令和に語る、昭和プロ野球の仕事人」 第3回 柴田勲・後編
 平成の世にあっても、どこかセピア色に映っていた「昭和」。まして元号が令和になったいま、昭和は遠い過去になろうとしているが、その時代のプロ野球を盛り上げた多彩な選手たちのことを忘れてはならない。
 過去の貴重なインタビュー素材を発掘し、個性あふれる「昭和プロ野球人」の真髄に迫るシリーズ。前回に引き続き、日本における”元祖スイッチヒッター”として6度の盗塁王に輝き、ジャイアンツのV9に貢献した柴田勲さんの証言を伝える。

赤手袋に背番号7。このスタイルを記憶しているファンは多い(写真=共同通信)


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 甲子園優勝投手として、あこがれの巨人軍に入団。ところが、1年目のシーズンを終えた1962年の秋に、早くも打者転向、しかも「左でも右でも、両方打ちゃあいいんだ」とスイッチヒッター挑戦を言い渡される。
 ただ、柴田さん本人にすれば、前例がないだけに厳しかったに違いない。どのような工夫をしたのだろうか。
「いやぁ、最初は何にもわかんなかったからさ、左打ちをやるんなら、左手を器用に使えるようにしよう、と。じゃあ、何をするにも左手だってことで、いつも右手はポケットに入れておく。煙草を吸うのも左手、箸を使うのも左手。

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