本人が自負。「巨人V9を支えたのは柴田、高田、土井、黒江の好走塁」

意欲のない選手に『走れ』って言ったって、絶対に無理。これは教えることができないものなの。オレの場合、塁に出たらすべて走るって意欲があったと思うし、当時、クイックをやってるピッチャーはごくわずかで、結構、大きなクセのあるピッチャーも多かった。だから、それだけ走れたと思うんだ」
 クセを盗む技術があったというより、今の野球よりも走りやすい状況があって、なおかつ意欲があったから数多く走れた、ということなのだろうか。
 ともかく、柴田さんは翌年以降も走りまくり、66年に46盗塁で初のタイトルを獲得すると、67年は70盗塁という破格の数字で2年連続盗塁王。この年から着用していた手袋が赤色で、それが斬新だったことで[赤い手袋]もしくは[赤い怪盗]というニックネームがつけられた。当時の球界では、赤色のものを身につけること自体、珍しかったのだ。
「赤もそうだけど、手袋をつける人はほかに誰もいなかった。素手で打たないと怒られた時代だよ。だから初めは素手で打って、塁に出たらつけてたんだけど、2年ぐらいして、面倒なんで手袋して打つようになったの」
 手袋のみならず、スイッチも前例がなかったのだ。ほかに誰もやっていないことを果敢にやってのける──。その姿勢が、柴田勲という選手のセールスポイントを作り上げたのだと思う。
「いやいや、果敢じゃないのよ。たまたまなんだよ。

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