愛甲猛のプロ入り前。プリンス→西武の「トンネル入団」計画があった

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根本陸夫外伝〜証言で綴る「球界の革命児」の知られざる真実
連載第2回

証言者・愛甲猛(2)
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 チーム強化のために裏技を駆使し、”球界の寝業師”と称された根本陸夫。実質的なGMとして辣腕を振るった一方、親分肌で面倒見がよかったことから、今も根本を信奉する野球人は親しみを込めて「オヤジ」と呼ぶ。

ところが西武時代、じつは根本自身が「オヤジ」と呼ぶ親分的な存在がいたという。裏で動いた根本の、さらにその裏で動いていたプリンスホテルの総支配人、幅敏宏(はば・としひろ)。いったい、どんな人物だったのか——。プロ入り直前から幅が父親代わりで、やはり「オヤジ」と呼んだ愛甲猛(元ロッテほか)に聞いた。

「オヤジはものすごく太っ腹で、任侠映画に出てくるヤクザの親分みたいなタイプの人でした。社員の間では『マムシ』と言われるぐらい、恐れられていたそうです。顔は根本さんに近い雰囲気があって、背は小さくて、声は太くてよく響いて。そんなオヤジにあるとき呼ばれて行ってみたら、僕とドラフトで同期になるプリンスホテルの石毛(宏典)さん、中尾(孝義)さんも来ていました。するとオヤジが石毛さんにポーンと、封筒でお金を渡して、『お前ら、これで遊んで来い』って(笑)」


1980年夏の甲子園で優勝投手となった横浜高校の愛甲猛

 幅が接触してきたのは、1980年の9月。

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