箕内拓郎がW杯で感じた最後の差「60分しかラグビーをできなかった」

箕内拓郎がW杯で感じた最後の差「60分しかラグビーをできなかった」

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レジェンドたちのRWC回顧録J 2003年大会 箕内拓郎(前編)
 2003年は、日本ラグビーにとって変革の年だった。その年の9月23日の土曜日、国立競技場でトップリーグがスタートした。社会人の全国リーグ創設は、日本ラグビー界にとって世界へ挑戦する意欲の表れだった。

2003年のラグビーW杯で主将を務めた箕内拓郎


 その開幕直後の10月、第5回ラグビーワールドカップ(RWC)がオーストラリアで開催された。向井昭吾監督率いる日本代表は、4戦全敗に終わった。ただ、フランス、スコットランドを脅かし、海外メディアからは「ブレイブ・ブロッサムズ(勇敢な桜の戦士たち)」と評され、3試合を行なった高温多湿のタウンズビルという街では、地元ファンの支持もつかんだ。
 そのときの主将が、当時27歳の箕内拓郎さん(NEC−NTTドコモ−日野レッドドルフィンズFWコーチ)だった。8月某日。テレビのラグビー解説のあと、東京・秩父宮ラグビー場近くで16年前のRWCを振り返ってもらった。グレーの短パンに黒色のTシャツ姿。胸にはラグビーの「R」という文字が描かれている。
 あのときのRWCを一言で、と聞けば、「楽しかったですね」と箕内さんは表情をやわらげた。
「僕自身、日本代表としてワールドカップを戦うって、ラグビーを始めた頃から夢とまではいわないまでも、一番の目標としてやっていましたから。

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