初の日本一直後に不穏な空気。八重樫幸雄が明かす広岡ヤクルトの不和



八重樫 僕は中西太さんとつきっきりで打撃練習をしたけど、水谷や角は広岡さんがつきっきりで守備の指導をしていたよね。遠征先の廊下で広岡さんがボールを転がして、それを水谷が素手で捕球する。そんな練習をいつもしていたから。

――角さんも同様のことを言っていました。「初めは転がしたボールを素手で捕るところからスタートして、次に足の運びをきちんと意識しながら、素手で軽めのノックを捕る練習。それをクリアすると、ようやくグラブを持つことが許された」とのことでした。

八重樫 広岡さんはまったく妥協しない人でしたから。自分が描いている理想通りに捕るまで終わらない。「はい、よくできました」となるまでに、最低でも1時間はかかっていた。そして、絶対に自分で見本を見せるんですよ。

――そして、「普段はまったく白い歯を見せない人」なんですよね。

八重樫 そう、そう(笑)。笑っているところを一度も見たことがない人だったから、僕にとっては今でも「怖い人」というイメージが強いですね。当時、コーチだった森(昌彦/現・祇晶)さんは自分から話しかけてきてくれて、いろいろ教えてもらったから、そういうイメージはないんだけど。

【「広岡野球」は、強いて言うなら「型にハマった野球」】


当時を振り返る八重樫氏 photo by Hasegawa Shoichi

――広岡さんの話題からは逸れてしまいますが、1978(昭和53)年当時、バッテリー・作戦コーチだった森さんについてはどんな印象が残っていますか?

八重樫 当時、大矢(明彦)さんと僕が一軍のキャッチャーだったんだけど、「何で、オレのところばっかり来るのかな?」って思うぐらい、いつも熱心に指導してもらったんだよ。

関連記事(外部サイト)