初の日本一直後に不穏な空気。八重樫幸雄が明かす広岡ヤクルトの不和



【日本一から最下位への転落は「サイン会をしなかったから」】

――1978年、広岡監督の下、ついに創設29年目でチームは初の日本一に輝きます。この年の日本シリーズでは、当時の「絶対王者」阪急ブレーブスとの戦いでした。下馬評では圧倒的に「阪急有利」の声が強かったですよね。

八重樫 あの時は、「とにかく4戦以上はやろう」と、みんな考えていました。とにかく、4タテを食らうことだけは避けたかったから(笑)。だから、誰も優勝できるなんて思っていなかったと思いますよ。

――あの年は学生野球の関係で、本拠地の神宮球場で試合ができず、後楽園球場をホームとして戦いましたね。

八重樫 そうそう(笑)。「何で、神宮を使えないんだ」って思ったもの。後楽園球場のグラウンドに立っても、全然「うちらのホームだ」って感覚はなかったからね。

――後楽園球場はあくまでも巨人の本拠地であって、ヤクルトにとってはビジター球場のひとつですからね(笑)。

八重樫 そうだよね。このシリーズで忘れられないのは、3勝3敗で迎えた第7戦。大杉(勝男)さんがレフトポール際に打った大飛球かな?

――「ホームランか、ファールか?」で揉めに揉めたプロ野球史に残る大事件ですね。

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