初の日本一直後に不穏な空気。八重樫幸雄が明かす広岡ヤクルトの不和



――えっ、せっかくチーム初の日本一になったにもかかわらず、すぐにそんな不穏なムードになったんですか?

八重樫 そう。優勝後、東京と大阪で、球団が決めた祝賀パーティーがあったんだよね。でも、それが終わるとすぐに競技場を借りて秋季練習が始まったんです。普通、優勝した後のオフはサイン会だ、トークイベントだって、選手にとっては副収入を稼ぐ絶好のチャンスなんですよ。それなのに約1カ月間、猛練習。広岡さんは来年も結果を出すために必要だと思ったんだろうけど、キャンプが終わった頃には世間の人たちも優勝、日本一のことは忘れているから、ベテランの人たちはみんな怒っていたよね。

――「守備に難がある」という理由で、主砲のチャーリー・マニエルを近鉄に放出して臨んだ翌79年は開幕から連敗が続き、広岡監督は途中休養。チームは日本一から一転して、最下位に沈みました。その原因は、前年のオフにあったんですか? 

八重樫 マニエルの場合、実力はあったんだけど、彼はちょっと日本をナメすぎ。ハッキリ言って、チーム内では人気がなかったから。でも、それよりも優勝した年のオフの不満のほうが大きかったと思うけどね。優勝したすぐ後にサイン会とか開かれていたら、結果は違ったと思うんだけどな。「楽しみ」の部分が失われたのが、意外と大きかったと思いますね。

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