平尾誠二が描いたグローバル化。日本ラグビーの進む道と可能性を見た

反則を避けるため、どうしても姿勢が高くなる。後半中盤。ずるずると40mほど押し込まれ、結局はトライにつなげられた。勝敗の行方はほぼ決まった。
 それにしても、南アは日本をよく分析し、対策を立ててきた。オフサイドまがいの早めのラインディフェンス、球出しのテンポを遅らせるためのレートタックル気味の寸断、展開阻止。あるいは内側の返しの短いパスにもちゃんと反応されていた。
 結局、日本はノートライに終わった。束となった南アのディフェンスは、あたかもジャージの色であるグリーンの分厚い壁だった。ジョセフHCは「ほんとうにフィジカルなゲームだったと思います」と声を落とした。
「(日本は)たくさんのチャンスをつくった。プレッシャーを相手にかけることができた。でも、それをもの(得点)にすることができなかった。相手のディフェンスがとても強かったと思います」
 この日は奇しくも、日本ラグビーの発展に貢献した”ミスターラグビー”平尾誠二さん(2016年死去、享年53)の命日だった。台風による犠牲者への追悼もあって、日本の選手たちは腕に喪章の黒いテープをつけて戦った。
 試合後、フルバック(FB)山中亮平も泣いた。ひげの育毛剤でドーピング違反となり2年間の資格停止となった時、神戸製鋼を指揮していた平尾さんにラグビー人生を救われた。言葉に実感をこめる。

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