ラリードライバー篠塚建次郎は70歳。パジェロが年8万台売れた頃を語る



 僕は大学に入学した直後、友人に誘われラリーを始めました。プライベーターとして国内ラリーに参加しているうちに、いろんな関係者と知り合いになり、たまたま三菱の方に「来年、うちのマシンに乗らないか」と声をかけられました。

 まずはナビゲーターからスタートし、大学4年の時には三菱の契約ドライバーとなりました。だから大学を卒業する時には、そのまま契約ドライバーとして三菱が迎えてくれると思っていたんです。契約ドライバーといえばお金もいっぱいもらえて、好きなラリーに専念できて、女性にもモテると思っていました(笑)。

 ところが、いざ就職の時期になると、三菱の方が「ラリードライバーという職業はまだ日本にない。それに会社が来年ラリーをやらないと言えば、それで職業がなくなってしまう。社員になるのがいいんじゃないか」と言われました。

 結局、普通に入社試験を受けて三菱自動車の社員になり、平日は普通の業務をこなし、週末は国内ラリーに出場するという生活を送ることになりました。
――アフリカとの出会いはいつだったのですか?

 1976年に初めてアフリカのケニアを舞台にしたサファリ・ラリーに出場するチャンスを得た時です。当時、僕はサファリにはすごく憧れていました。なぜかといえば、石原裕次郎さんが主演した映画『栄光への5000キロ』(1969年公開)がカッコよかったからです(笑)。

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