ラリードライバー篠塚建次郎は70歳。パジェロが年8万台売れた頃を語る

でも何もしないよりはマシだと思い、86年はとりあえずパリダカを見てくるつもりで出かけていきました。

 出場したのは市販車クラスで、マシンは市販されているパジェロのディーゼルカーにカラーリングしただけ。いわば格好だけワークスマシンで、中身は市販車でした(笑)。その年はとりあえず完走して、「来年はどうする?」と聞かれたのですが、あまり乗り気じゃなかった。

――ようやく実戦を復帰できたのに、どうして?

 マシンがあまりに遅すぎて……。僕らのマシンは砂漠で時速70キロぐらいしか出ないのですが、ワークスマシンは150キロです。抜かれてばっかりだから全然面白くない。そう会社に言ったら、「じゃあ、速いクルマを準備する」ということになりました。

 でも、お金がかかるため新しいクルマは用意できないので、前年にフランス人が乗ったパジェロを直して走ることになりました。そのマシンで87年に出場したら、3位に入ることができました。この年のパリダカはNHKが放送していて、毎日のスポーツニュースで「今日、篠塚は3位で……」と取り上げてくれたんです。それがきっかけでラリーがメジャーになっていきました。

 また、87年はF1でも中嶋悟さんがレギュラードライバーになり、アイルトン・セナと組んで一緒に走ることになりました。

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