ラリードライバー篠塚建次郎は70歳。パジェロが年8万台売れた頃を語る

それでF1とラリーが盛り上がっていき、いろいろなメディアでモータースポーツが取り上げるようになっていきました。

――篠塚さんがパリダカで走らせていた『パジェロ』も大人気になりました。当時は若者の憧れの的で、最盛期の92年には国内約8万4000台を販売しています。

 それまでパジェロの購入は自衛隊や営林署がメインで、一般のお客さんにはほとんど売れていなかったんです。毎月数百台しか売れなかったのに、毎月2000台とか3000台も売れるようになっていきました。苗場にスキーに行く時は、パジェロで行かないと恰好がつかないという時代でした(笑)。あそこから日本のSUVブームは始まりました。

 パリダカのおかげで三菱はイケイケになり、僕も88年には2位になりました。3位、2位と来たので、「次は優勝だぞ!」と思ったのですが、なかなかうまくいかなかったですね(笑)。

――初優勝はパリダカ初参戦から12年目の97年までかかりました。

 それでも毎年、それなりの成績(92年と95年は3位)を残すことができたので話題にはなっていましたね。あと自分ではもともと短距離も好きなので、88年からWRCにも参戦し、91年にはコートジボワール・ラリーに出場して、日本人初の優勝を飾ることができました。

 さらに94年と95年には『ランサー・エボリューション(通称ランエボ)』でサファリ・ラリーに参戦し、2年連続で2位になりました。

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