ラリードライバー篠塚建次郎は70歳。パジェロが年8万台売れた頃を語る

自分としては理想的な形でラリー活動ができましたね。
――WRCとパリダカで日本人初の優勝という偉業を達成し、かなりのボーナスをもらったんじゃないですか?


今年行なわれた「アフリカ・エコレース」に70歳で挑戦し、完走した篠塚(写真は篠塚氏提供)

 いまだに後悔しているのは、もっとお金をもらっておけばよかったなあということですね(笑)。もちろん社長から表彰され、金一封はいただきましたが、豪華な夕食を一回したらなくなってしまうようなものでした(笑)。

 でも社員ドライバーにはいい面もたくさんありました。たとえば、アジア・パシフィックラリー選手権に出場したいとなれば、「これから市場として有望なアジアで宣伝効果があるので、とてもいい販促になる。ついては、ドライバーは篠塚建次郎で、予算は何億で……」と企画書をつくって、上にあげるんです。そういうことを社員はできるんですけど、契約ドライバーはできないんですよね。

 自分でプランを組んで、予算を決めることができたので、会社のお金はずいぶん使いました(笑)。でもパジェロやランエボのブランドを確立することができましたので、その何百倍も返したという自負はありますね。

――社員ドライバーとして順調にキャリアを積み重ねてきたわけですが、どうして三菱を退社することになったのですか?

 2000年のパリダカで大きな事故を起こしてリタイアしたのですが、その前後に、私と一緒にパリダカをやっていた先輩が亡くなったりして、なんとなくさみしくなってしまったんです。

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