部屋から脱走し帰国した旭天鵬。なぜ相撲界への復帰を決断したのか
2019年10月27日 06時10分 Sportiva
向正面から世界が見える〜
大相撲・外国人力士物語
第4回:友綱親方(2)
旭天鵬は1992年、初の「モンゴル人力士」として、旭鷲山ら6人で日本にやって来たうちのひとりだ。旭鷲山と出世を争うように番付を上げ、1998年初場所(1月場所)で新入幕。以来、横綱・朝青龍、白鵬、鶴竜ら、モンゴル人力士の先駆者として存在感を示してきた。2012年夏場所(5月場所)では、37歳にして涙の初優勝を成し遂げた。
2015年名古屋場所(7月場所)、40歳10カ月で引退。その後、年寄・大島を襲名した。2017年に友綱部屋を継承し、現在は審判委員を務める一方、11人の力士たちの育成に力を注いでいる――。
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1992年、春場所(3月場所)で力士としてのスタートを切りましたが、相撲部屋での生活は本当に疑問に思うことばかりでした。
最初に覚えた日本語は、「おつかれさんでございます」。
相撲界は上下関係が厳しくて、年上の人には敬語を使わなければならないのに、それができずに怒られたり、食べ物に関しても、最初はかなり抵抗がありました。
来日して27年が経つ今では、笑い話になりますが、当時は魚の入ったチャンコが食べられなかったし、味噌味にも慣れなくて、野菜も嫌いだった。