佐々木朗希が語った「半々です」の思い。高校時代の無念はプロで晴らす

1年秋には「立っているだけでも腰が痛かった」と、野球と向き合えなかった。それに肩やヒジに不安がなかったとも言えない。163キロをマークした今春でさえ、その時点で「球速に耐えうる骨や筋肉、靭帯、関節ではない」と語っていたのは大船渡の國保陽平監督だ。
 無理はさせられない——傍から見れば過保護に映るほど登板間隔が空けられ、球数も制限されるなど、佐々木は我慢の日々を送ることになる。そうした悶々とした”我慢の日々”は高校最後の夏まで晴れることはなかった。
 夏の岩手大会決勝は、マウンドに上がるどころか打席に立つこともなく、チームは敗れた。結局、佐々木は高校の3年間で甲子園に出場することはできなかった。その後、日の丸を背負って出場したU−18ワールドカップ(韓国・機張)でも、右手中指の血マメの影響で、わずか1イニングのみの登板に終わってしまった。
「佐々木にとって高校野球とは何だったのか……。高校野球をやりきったと言えるのだろうか?」
 試合後、そんな疑問を佐々木にぶつけると、小さな声でこう言った。
「半々です」
 ドラフト当日に語った「思い描いていたよりも順調に成長できた」という言葉に偽りはないだろう。ただその一方で、満たされなかった思いがあったのは間違いない。

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