現在のルールにも影響を与えた常識外れのGK。イギータは自由を満喫した

でも、それでは面白くない。それではイギータらしくない。

 母子家庭だったうえに母親を早くに亡くしたイギータの幼少期は、生き抜くためのサバイバルだったという。さまざまな仕事をして糊口をしのいだ。ミジョナリオスでデビューすると、86年にすぐにアトレティコ・ナシオナルに引き抜かれている。

 翌87年、コロンビア代表監督のフランシスコ・マツラナが兼任でナシオナルの監督に就任する。2年後の89年、ナシオナルはリベルタドーレス杯を制して南米クラブナンバーワンとなった。コロンビア初の快挙だ。さらにコロンビア代表は南米予選を突破して、90年イタリアW杯への出場権を得る。コロンビアにとって、1989年の前と後ですべてが変わっている。

<未来のGK>

 マツラナ監督下のナシオナルに人々は驚かされ、イギータのプレーには腰を抜かしそうになった。FWからDFまでが20メートルのコンパクトな陣形、完全なゾーンディフェンス、そして攻撃するGK……。
 イギータはペナルティーエリアを飛び出して、相手のロングボールやスルーパスをカットすると、そのままドリブルで1人、2人とかわす。最初は受け入れられない人も多かった。マツラナ監督は、のちにこう話している。

「最初からガンジーが好きな人ばかりではないさ」

 偉大な変革者の多くは初期の段階で理解されない。

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