現在のルールにも影響を与えた常識外れのGK。イギータは自由を満喫した

しかし、イギータのプレーは時代の先を行くかどうかは別にして、受け入れない人には受け入れられない何かがあった。

 南米を制した89年、国立競技場でミラン(イタリア)とインターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)を争った。当時世界の最先端の戦術を行なっていたミランと、ナシオナルの戦法は酷似していた。唯一の違いは、ナシオナルのGKがよりモダンだったことだろう。いや、より未来的だった。

 ナシオナルとミランが同時期に同じ戦法を採用していたのは、偶然の一致にすぎない。南米でこの戦法を始めたのはウルグアイのリカルド・デレオンと言われている。デレオンの下で選手だったルイス・クビジャが、監督の時にナシオナルに導入し、マツラナに引き継がれていた。

 ただ、モデルになったのはどちらも70年代のアヤックスとオランダ代表だ。ミランのアリゴ・サッキ監督はアヤックスがモデルだと明言している。そしてデレオンは、当時のアヤックスの監督だったリヌス・ミケルスの友人だった。

 オランダ代表で、極度に高いディフェンスラインの裏を守る”スイーパーGK”の元祖であるヤン・ヨングブルートの役割を、レネ・イギータは担っていたわけだ。しかも、より進化した形で。

 FKやPKも得意で、GKなのに41得点している。

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