村田修一が松坂世代を語る。松坂大輔にエール「限界まで投げ切って」

もう1年、この番号をつけてがむしゃらにやる』と言っていましたから。もがいた末に決断を下したんだなと思いました。

 あれだけ肘にメスを入れて”球界の手術王”とも言われましたが、その度に不死鳥のように蘇って150キロ前後の球を投げていた。大学時代から変わらずハートが強い投手でしたね。同じ釜の飯を食った館山が頑張ってくれたから、僕も頑張ることができたと思っています」

──投手としてはもうひとり、広島で79ホールド・165セーブを記録した永川勝浩投手もユニフォームを脱ぐことになりました。

「永川とは東都大学野球時代から戦ってきました。当時の亜細亜大学は、永川と木佐貫(洋/来季は巨人の二軍投手コーチ)の”2枚看板エース”のチームでしたね。プロ入り後も含め、僕の打率を下げてくれたピッチャーのひとりです(笑)。広島のクローザー、中継ぎとして活躍しましたが、決め球のフォークボールはカーブのような曲がりで落ちるんですよ。今で言うと、ソフトバンクの千賀(滉大)の”お化けフォーク”に近いでしょうか。縦の変化が大きくて、現役時代には本当に苦労しましたね」
──また、巨人時代に共にプレーした日本ハムの實松一成捕手は、二軍バッテリーコーチとして巨人に戻ってきましたが。

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