根深い差別の撲滅に「パラ五輪教育」が最適な訳

根深い差別の撲滅に「パラ五輪教育」が最適な訳

教員向けに研修を行う、長野パラリンピック金メダリストのマセソン美季さん(写真提供:日本財団パラリンピックサポートセンター)

東京オリンピック・パラリンピックの開催まで半年を切った。そんな中で、五輪開催への根幹をなす組織委員会の会長が失言で交代するという、なんともみっともない事態になって、新会長には「五輪の申し子」と呼ばれる夏冬オリンピック7大会出場の橋本聖子氏が就いた。

組織委員会の森喜朗前会長が辞任に至ったのは「女性差別発言」だった。おそらく、なぜ自身の発言が「差別」に当たるのか、わかっていないかもしれない。

ひるがえって自分にあてはめてみると、これまでに気づかずに差別をしたことがある可能性は否定できない。多くの人がそう思うのではないか。差別というのは、自分が「差別していない」と思っても、相手が「差別された」と思えば差別になる。はっきりとした線引きがないことも多い。世代によっても差別の基準や対象、伝わり方、感じ方も違う。言葉も使い方も、時代によって良かったり、だめになったりする。

「昔は大丈夫だった」ではすまないこともある。昔の映画やドラマの再放送で「現代では不適切な表現があります」などというテロップが流れるのも、そんな言葉づかいの変遷があるから。筆者も新聞社時代から新聞用語としての言葉の使い方に注意してきているが、100%の自信はないというのが本音だ。

■共生社会の実現を目指すパラリンピック

パラリンピックが目指すのは「多様性を認めて機会を公平にする共生社会の実現」が大きな柱になっている。

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