五木寛之「風がなくても帆を上げて風を待つ意味」

五木寛之「風がなくても帆を上げて風を待つ意味」

五木寛之さんに荒波の生き抜き方を聞きました(撮影:岡本大輔)

コロナ収束を我慢強く待つ“夜明け前”、個々に向き合わざるをえない、やるせない思いや不安……コロナ後にせりだしてくる「情」の荒波をどう生き抜くか。『〈新版〉夜明けを待ちながら』のリバイバルで注目の五木寛之さんインタビュー後編。

前編:五木寛之「長く深い夜には夜の生きかたがある」(7月14日配信)

■音楽として始まった仏教から学ぶこと

――前編(五木寛之「長く深い夜には夜の生きかたがある」7月14日配信)では、「情」と「理」という話題から、コロナ後の世界では感情が大きな問題になってくるという話をうかがいました。そういう時代に、情理を兼ね備えるにはどうすればいいんでしょうか。

五木 寛之(以下、五木):言葉の問題で考えると、「情」は「声の言葉」であり、「理」は「文字の言葉」なんですよ。言葉は思想を伝えるものだけど、思想の骨組みだけを伝えても大事なことは人には伝わらないんだと思う。

たとえば仏教がどんなふうにして広がっていったかというと、ブッダの話を人々が聴くことから始まるんですね、仏陀がブツブツと言ったことを、弟子たちが一生懸命暗記する。すると今度は、弟子たちは町へ出て、仏陀の言葉を広く人々にそれを伝えようとする。その際、どうするかというと、覚えやすく、耳に入りやすいように、仏陀の言葉を、偈(げ)にしたんです。

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