五木寛之「風がなくても帆を上げて風を待つ意味」

偈(げ)というのは宗教的な歌のことですね。

中村元さんが訳されている初期の仏典を読むと、同じ文句が何遍も繰り返されているんですが、あれは歌だからリフレインなんですよ。だから仏教っていうのは、音楽として始まったんですね。

仏教には「聞法(もんぽう)」という言葉があります。これは教えを聞くことで、真実を知るという意味がある。つまり真実を知るとは、耳で聞くことであって、目で読むことだけではない。字を読んでいくのも大事な作業だけど、声に出して読み、それを聞くことのほうがはるかに大事なことなんですね。

――『コーラン』も非常に音楽的だと聞いたことがあります。

五木:音楽というものは、宗教の中では根本的に大きなものだと思っています。ところがグーテンベルクが活字印刷を発明して以来、活字や書物に対する偏重が生じたため、書かれた物を目で読むほうが上等なことのように思われるようになりました。

それは情を捨てて、理を偏重することでもあったんです。声を耳から聞くことは、理を知るだけじゃなくて情感が伝わってくるんですよ。表情や語り手の身振り、声質、口調などから、おのずと情は伝わってきます。それに対して文章は、中立的で冷静ですから、情を拭い去って論や理だけをきちっと理解させる。

感情に左右されないという意味では、文字は大事だけど、文字だけでは情が抜け落ちてしまう。情理を兼ね備えるというのは、声と文字両方を大切にすることなんです。

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