イスラム世界の衰退は「微積分学」を拒否したから

イスラム世界の衰退は「微積分学」を拒否したから

高い数学力を誇っていたイスラム世界が、知的分野において西欧に逆転された背景には「微積分学」がありました(写真:M.O/PIXTA)

イスラムが西欧に敗北する契機になったもっとも象徴的な事件は、1571年にキリスト教国側の連合艦隊(ローマ教皇庁・スペイン・ヴェネツィアで構成)がオスマン帝国艦隊を破ったレパントの海戦とされている。しかし、実はもっと大きな歴史上の分岐点があったと、在野の物理学者である長沼伸一郎は説く。(本稿は『世界史の構造的理解』から一部を抜粋し、再編集しました)。

イスラム社会で「立法権」を持つのは現在の日本(というより一般に民主主義国)では、基本的に「主権在民」つまり「主権は一般市民がもっている」という建前になっている。この「主権」というのは、要するに、最終的に「立法権」をもっているのは誰か、ということである。

立法権は、国や社会の姿を規定する権限として、国内社会の最終的な力であり、それをもつ者が国の主人である。中世国家や独裁国の場合、立法権は君主がもっているが、民主国では民衆が自身の代理人として選んだ議員や代議士が、議会や国会で法律をつくるのであり、それゆえ立法権は最終的には民衆がもっていることになるわけである。 

その意味で、立法権を誰がもっているのかは、その国の社会構造をみるうえでもっとも重要なポイントとなるが、それならばイスラム社会では誰が立法権をもっているのだろうか。

まず原則論として言うならば、イスラム社会において立法権は人間の手にはない。イスラム法(シャリーア)の場合、憲法制定に相当する作業は、ムハンマドによってイスラム法が定められたときに全て行われたのであり、その根幹部分を人間が変えたりつくったりすることは許されていない。 

しかし、それではさすがに時代や状況の変遷に対応できなくなってしまうので、その際にはどうするかというと、法律の基本そのものには手を加えず、それを「どう解釈するか」によって、時代や状況の変化に対応している。

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