もし石橋湛山が首相を長く続けていたならば

もし石橋湛山が首相を長く続けていたならば

1956年12月の自民党総裁公選で、7票差で岸信介に勝った石橋湛山。72歳の湛山は年明け1月に病に倒れ、わずか65日でその座を岸に譲った(東洋経済写真部)

石橋湛山(1884−1973)は戦前期に東洋経済の記者、編集長、社長を務めたジャーナリスト。戦後は政治家に転じ、1956年12月には首相にのぼりつめた。ところが病に倒れ、わずか65日で首相を退いた。

湛山が健康を維持していたとしたら何が起きただろうか。その後の岸信介内閣はなく、日米関係は大きく異なったものになったかもしれない。戦後の経済政策の中軸も、岸内閣を引き継いだ池田勇人内閣で基盤が固まった官主導ではなく、民主導のものになっていたかもしれない。

東洋経済の創刊記念日である11月15日、読者の皆さまとそのような「もし」を考えたく、日経の永野健二氏に「もし石橋湛山が首相を長く続けていたならば」とのテーマで寄稿をお願いした。

東洋経済オンライン編集長 山田俊浩

朽ちかけていた安倍晋三政権が、小池百合子「希望の党」の大失態でよみがえった。彼女の罪は、経済政策においても「ユリノミクス」などとつぶやいて、あらゆる意味で終わっていたアベノミクスを復活させてしまったことにある。アベノミクスの大胆な修正を図る最後のチャンスを、「働き方改革」という呼び替えによって、終わっていた経済政策の存続を許してしまった。

今1つの懸念は、北朝鮮危機をあおりつつ、軍事同盟強化一本やりで、米ドナルド・トランプ政権との間で日米連携の強化を図りつつあることだ。国際的な危機意識の高まりを背景に、ステレオタイプな安倍首相の直進路線が、世界史の中でも特筆すべき危険なリーダーであるトランプ政権との野合を深めつつある。

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