広島の「平和活動」に感じる微妙な矛盾と残念さ

広島の「平和活動」に感じる微妙な矛盾と残念さ

広島に移り住んだ外国人の筆者が広島の平和活動に対して思うこととは(筆者撮影)

どの都市もたいてい、わかりやすいかどうかの違いこそあれ、苦難や理不尽の遺産を抱えている。しかしそれらを自らのアイデンティティーの礎としてきたり、その対応として「平和文化」を展開させてきたりした都市はあまりないだろう。

広島と長崎はどちらも、平和文化を都市の理念として掲げており、核兵器やそれが世界に及ぼす脅威についての学びと主張の中心地となっている。アメリカ人である私は、この平和文化、「武器で解決できない問題はない」という自分の母国の考え方に対するアンチテーゼとしての平和文化に興味を持つあまり、2016年に広島へ移り住んだ(よってこれ以降の記事が長崎に触れないことについてはどうか目をつぶっていただきたい)。

■「原爆と核兵器は別のテーマ」

移り住んだのは「刺激的」と言えるタイミングだった。ちょうどアメリカと北朝鮮の間の緊張が激化し始めた時期で、2017年9月には、北朝鮮のミサイルが北海道上空を通過し、2018年1月には、ハワイでミサイル警報の誤報騒動があった。2017年の夏にはまた、国際的な軍縮運動の具体的な成果として、核兵器禁止条約(TPNW)が発効した。もっと最近では、近代兵器や中距離核戦カ全廃条約破棄の話題が、核兵器関連のニュースを支配している。

広島は一見すると、こうした活動の「中心」にあるように見える。

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