緒方貞子さんの「難民支援活動」が残した意義

緒方貞子さんの「難民支援活動」が残した意義

元国連難民高等弁務官 緒方貞子さんが死去(1998年11月資料写真)(写真:ロイター/アフロ)

10月22日に元国連難民高等弁務官の緒方貞子さんが亡くなった。女性初、日本人として唯一、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)を率いた人物で、92歳だった。筆者の芳沢光雄氏は緒方さんのいとこであり、長い間外交官に従事し外務大臣も歴任した芳澤謙吉の長女の子が貞子さん、四男の子が筆者だ。本記事では、緒方さんの行動・発言・考え方などから悟ったことを紹介する。もちろん、「悟る」という言葉にはいろいろな面がある。

■緒方さんが残した功績

緒方さんは上智大学外国語学部長を歴任して、1991年に第8代国連難民高等弁務官に就任した。その経歴から見る優秀な人とは想像できないほど謙虚で思いやりのある人柄であった。東西の冷戦が終結した直後からの国連難民高等弁務官は2度再任され、10年間にわたって従事したことになる。

ちなみに彼女が国連と関係をもったきっかけは、かつて婦人参政権運動を主導され当時参議院議員だった市川房枝氏の熱心な誘いによって、1968年に日本政府代表団の1人として国連総会に参加したことだった。

1990年代、難民問題を抱える紛争地を積極的に訪れる「現場主義」(1年の半分は現地)の姿をニュース等で見聞きしていた。忘れられないエピソードは、私の母が紛争地での体調管理について尋ねると、「現地では縄跳びをしています」という返事をもらったことである。

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