大牟田、「石炭と鉄道」で発展した街の栄枯盛衰

大牟田、「石炭と鉄道」で発展した街の栄枯盛衰

JR大牟田駅。駅前には主要幹線の国道208号が通っており、人の往来は多い(筆者撮影)

九州で唯一の大手私鉄として奮闘する西日本鉄道(西鉄)は、発足直後に広島への進出、高度経済成長期には熊本への進出も検討していた。経営陣は福岡県内の一私鉄で終わるつもりはなく、そうした思いが西日本鉄道というスケールの大きな社名につながっている。しかし、結果として西鉄は福岡県内だけにとどまっている。

西鉄に「本線」と名の付く路線は存在しないが、西鉄福岡(天神)駅―大牟田駅間を結ぶ天神大牟田線が本線格として扱われる。その最南端に所在する大牟田は、炭鉱の町として発展してきた。

九州はあちこちに炭鉱が点在し、大牟田は突出した採炭量を誇ったわけではない。それでも大牟田と炭鉱は切っても切れない関係にある。なぜなら、大牟田で石炭が発見されたのは1469年。組織的な採炭が開始されたのは1721年。これらの記録はともに日本初であり、大牟田を抜きにして日本の石炭史、もっといえばエネルギー史を語ることはできないからだ。

■江戸時代から始まった採炭

江戸時代から始まった大牟田の採炭は、三池藩が担当した。明治維新によって炭鉱は政府が管理する官営鉱山となる。そして、明治半ばから西洋式技術が導入されて、飛躍的に採炭量は増加した。

三池炭鉱を近代化に導いた立役者は、後に三井の大番頭となってグループを牽引した團琢磨だ。

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