
韓国の巨星墜つ、サムスン李健煕会長の功罪
2020年10月27日 19時48分 東洋経済オンライン
2020年10月27日 19時48分 東洋経済オンライン
2020年10月27日 10時20分 東洋経済オンライン
■日本にも留学、太い人脈が成長の一因
李氏は特に日本との関係が強かった。日本をベンチマークとして自社の経営に生かしたという点は注目される。住友商事で長年、韓国ビジネスにかかわってきた藤田徹氏は、「韓国の財閥創業者は日本の植民地時代に育った日本語世代で、日本語の能力ではネイティブ並みだったが、李氏のような2代目でそこまで日本との関係が強い人は少なかった」と指摘する。
李氏が病床に就くまで頻繁に日本を訪れ、日本での人脈を生かして経営の参考にしていたことは、日本の経済界では有名な話だ。サムスンはテレビメーカーとして消費者に知られるようになったが、それはかつての三洋電機やNECとの提携によりそのノウハウを学んだことが大きかった。それ以降も、何かと日本企業との縁は強かった。それは現在、グループの中核事業となった半導体事業でも続いている。
一方で、負の遺産もあった。不透明な企業支配構造、韓国政界との癒着といった問題である。