コロナ禍を地球の警鐘として利する人への疑念
2021年01月13日 14時00分 東洋経済オンライン
日本の社会が先行きの見えない不安に覆われている。驚くような事件や事象が次々と巻き起こる一方で、確かなものはますますわからなくなりつつある。わたしたちは間違いなく心休まらない「不安の時代」に生きている。しかもそれは、いつ爆発するかもしれない「不機嫌」を抱えている。そんな混迷の時代の深層に迫る連載第5回。
■破壊的な未来像を利用するやからに気をつけよ
コロナ禍になって以降、パンデミック(世界的大流行)に対し、現代文明への警鐘や、自然破壊に対するしっぺ返しという視点から向き合う動きが増えている。確かに、新型コロナウイルスの出現は、地球温暖化や乱開発などを背景に以前から専門家の間では予測されていたものであり、動物から人に感染する危険な人獣共通感染症と出合う確率はかつてないほど高まっている。
また、ニューノーマルの生活様式が典型的であるが、ウイルス禍ではそれ相応の対策を継続的に実施することが不可欠だ。今後も同様の事態に備えた社会システムの構築だけでなく、価値観のアップデートも急ぐ必要があるのは間違いない。
しかし、ここで注意しなければならないのは極端な言説への警戒だ。「資本主義ではもうダメだ」「今すぐ消費社会を止めなければならない」等々、いたずらに人類の危機をあおりながら大きな転換を求める傾向であり、それは容易に善と悪の対立構造に落とし込まれやすい性質を持っている。