白豪主義から多文化主義国家になるまで、オーストラリアに学ぶ『移民政策』(下)

白豪主義から多文化主義国家になるまで、オーストラリアに学ぶ『移民政策』(下)

メルボルン中心街の観光名所が集まっている地区では無料の旧型路面電車が 運行されている。いつも中国人観光客で一杯である

第一次世界大戦の戦乱により欧州各国で大量の生活困窮者が発生したこと、オーストラリアの若者が6万人近くも戦死して若年労働力が不足したこともあり、オーストラリアは大戦後積極的に欧州移民の受け入れを図った。

 しかし実際には英国・アイルランド出身者を最優先したようだ。博物館の展示を見ると、当時オーストラリア政府は英国民に向けて新聞広告や街頭ポスターで「広大で豊かなオーストラリアで夢を実現しよう」といった移民キャンペーンを盛んに展開して英国市民の移住を誘致したようだ。特に若者や新婚カップルを優遇。『新婚さん、いらっしゃーい!』である。

■『あなた方一家の入国は認められません』、過酷な面接試験

 英国・アイルランド以外の移民に対してはかなり厳しい入国審査をしていたようだ。移民博物館には当時の入国審査を再現したコーナーがある。小さな個室で審査官が机を挟んで移住希望者にインタビューするビデオ映像が流されている。面接審査終了後に入国の可否を見学者がボタンを押して予想するというクイズになっている。数秒後に審査官の判断が画面に映され審査官から見学者に理由が開示される。

 バルカン半島から来た夫婦、娘の一家三人のインタビューの映像。片言の英語を話す夫に対して審査官が質問。夫は質問を聞き取れず審査官が何度も質問を繰り返した。

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