韓国の民主化の「副作用」、日本への配慮を忘れていった社会

韓国の民主化の「副作用」、日本への配慮を忘れていった社会

韓国の「民主化」と「運動」の関係とは……(写真:Lee Jae-Won/アフロ)

天皇陛下を「戦犯主犯の息子」だなどという事実誤認を韓国の国会議長が公の場で口にして平然としていられるのは、なぜだろうか。もちろん個人的な資質の問題もあるだろうが、それだけではなさそうだ。そもそも韓国では戦前の日本について語る際、「戦犯」という言葉が安直に使われているからだ。ただし、それも一連の考察で検討している「冷戦終結」の時期からのようだ。韓国社会における日本の存在感後退が、こうした言葉についても「軽さ」を生んだことがうかがえる。さらに1987年の民主化がそうした変化に拍車をかけた可能性が高いのではなかろうか。前々回、前回に引き続き、対日関係への配慮を忘れるようになった韓国社会の背景を考える。

■「戦犯国」「戦犯企業」という言葉は1990年から

 韓国メディアは、日本がらみの歴史問題とからめて「戦犯」という言葉を使うことがある。日本のことを「戦犯国」と呼び、徴用工を使っていた企業を「戦犯企業」と指弾するという具合だ。韓国人にとって植民地支配を受けたことは屈辱的だろうし、心情的な怒りを抱いたとしても不思議ではない。だから運動団体がこうした用語を使うことは仕方ないかもしれないが、それにしても悪意の感じられるレッテル張りだ。率直に言って私は、運動団体が使うことにも抵抗感を覚えるし、韓国メディアでこうした言葉が使われることには強い拒否感を禁じえない。

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