Nature energy into Nihonga―美を受粉し絵に結実する求道者

Nature energy into Nihonga―美を受粉し絵に結実する求道者

Nature energy into Nihonga―美を受粉し絵に結実する求道者の画像

 「アトリエと言ったら、仕事の邪魔になるかなって、人は入るのを遠慮しちゃうかもしれない。ギャラリーや画廊も、買わせられそうとか勧められたらとか、気になるでしょ。それで繪処。入口の看板の繪という字は、糸偏に人と画、その下に円と書いて「 」。人は画という糸でつながって円となるという意味を込めています」

 自由に出入りして、作業する姿も作品も見てほしい。画家や画壇という言葉が知らずに宿してしまっている敷居を取り去って、もっとフラットに人と画家と作品が近づいて一体化したい。繪処という言葉には、アランの基本的な姿勢が込められていたのだ。

 もちろん気に入ったら購入することもできるし、ひとときを楽しんでもらってもいい。現在アランの仕事は注文制作が8割。個人からの注文はもちろん、寺社、企業、ホテル、イベントホール、自治体、レストランなど多岐にわたっている。

 「ここを借りた時は、自動車整備工場だったから床は土間。壁に工具が下がり、天井はすすだらけ。まず床を上げて、シャッターをガラス戸にして、玄関部分はお寺の門を譲り受けて移し、天井画を描きました。お金を貯めて少しずつ改修していったんです」

 この地を繪処と定めたのは1999年。理由は日本画の画材店が近くにあったから。しかし、その前にアメリカのワシントンDC生まれのアランが、日本に移り住むようになるまでの道のりがある。初めて日本に来たのが20歳。一度帰国した後に再び来日して、東京藝術大学大学院日本画科の研究室に入り、加山又造に師事。すでに日本での暮らしは35年になる。

続きは WEDGE Infinity で

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