展示会場問題、オタクの悲鳴は止まるのか?

展示会場問題、オタクの悲鳴は止まるのか?

(DAJ/iStock)

 東京オリンピック時の展示会場問題は、オリンピックの問題としては三番手、もしくは四番手である。このため競技会場問題他の蔭に隠れてしまう可能性があり、3月に詳しくレポートさせて頂いた『オタクの悲鳴だけではすまない、東京ビッグサイトが使えない深刻度』。当レポートはその続編に当たる。

■まずは問題点の整理から

 そもそもの始まりは、東京五輪を安く上げたいという思いから始まる。五輪の費用がかさみはじめるようになったのは、某国がエンターテイメントに力を入れた演出をし始めてから。確かに面白い。五輪は隆盛を極めるが、掛かる費用も馬鹿にならない。開催国の費用負担がバカにならないのは、古今東西を問わず祭を盛大に催す時の問題であることも事実だ。

 しかし新興国ではイイこともある。海外の人を迎え入れるので、国のインフラ整備が行われるからだ。昭和39年(1964年)の東京五輪もその通りだったと聞く。何もなかった原宿など、山の手が一気に開けるのもこの頃。現在の東京を形作ったと言ってもいいかもしれない。「もはや戦後ではない!」と見栄を切ったところで、この時期の東京はまだまだ貧乏。国を挙げての一代プロジェクトで、日本は開催にこぎつけた。

 今は、新興国の予算で五輪を催すことは無理だ。いくつもの国が、その費用を出せないで、エントリー後に辞退している。そのくらい高い。このため「エコ五輪」なる言葉が生まれた。要するに、今あるモノを上手く使って、安く五輪を行おうということだ。

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