なぜ最後の帝国軍人はビルマ軍事政権を好んだのか?

 インパール作戦の少ない生き残りの兵士の中には「ビルマ好き」になる者が多い。そんな1人、故高原友生氏(以下敬称略)は陸軍士官学校57期の出身。無謀・無責任な牟田口廉也中将の立てた同作戦の連隊旗手・連隊暗号の責任者で、『悲しき帝国陸軍』(中央公論)の著作もある。そのおかげで、筆者は軍事独裁政権時代(1988〜2015)に何度かミャンマーを調査に訪れる機会があった。彼は以前私が所属した研究所の会長だった。最初仕事は困難を極めた。

■監視される役人

 機上から見下ろすと、大地は水々しい緑の水田に覆われていた。目に優しく心がふっと膨らんでいく。ところが、飛行機が降り立った滑走路は、ぺんぺん草が生い茂り、所々アスファルトが禿げていた。2度目の出張からは空港でドルの強制両替も行われるようになった。

 訪れたヤンゴンやマンダレーの街中では、賑やかな音楽とともに得度式(=子供が仏門に入る儀式)の行列が行き交い、女性は日傘をさしてゆっくりしゃなりしゃなりと歩く優雅な国であった。

 仕事は電話網にかかわる調査案件だったが、思いがけない困難が待ち受けていた。筆者の属する調査団は、電信省の会議室でカウンターパートの官僚たちをいらいらしながら待っていた。彼らが現れないので、日本を出る前にアレンジしていた会議は2度も流れた。

 役人は外国人と会うのにさえ、政府の許可が必要だった。国家防衛法では外人を泊めることもできなかった。

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