日本人は水とどう付き合ってきたのか

日本人は水とどう付き合ってきたのか

『水の土木遺産: 水とともに生きた歴史を今に伝える』(若林高子,北原なつ子、鹿島出版会)

 香川県善通寺市で講演した帰り、近くの満濃池(香川県まんのう町)へ足をのばした。

 『空海の風景』(司馬遼太郎著、中公文庫)の冒頭、「僧空海がうまれた讃岐のくに」を旅する司馬さんが満濃池の堰堤に立つからだ。

 <その堰堤の上に立つと、「池とはいはじ海原の八十嶋(やそしま)かけて見る心地せり」という古歌も大げさでなく、まわりに人家がないせいか、池の面にさざ波がたつのさえ気味わるいほどにしずかである。>

 <池の多いことは讃岐へ来るたれものおどろきのひとつであるにちがいない。古代国家は国家や社会の基礎が水稲で成立していた。農耕が昇華して宗教になったり、ときには強烈な正義になったりした。正義といえば非農耕民を農耕化させて田畑に定着させることと、池をうがつことが政治の正義であり、最大の事業でもあった。大和にも和泉にも池が多い。しかしそれにもまして讃岐には池が多い。>

 その多くを空海が掘ったというのは伝承としても、「空海が、讃岐の真野の地で荒れていた古池を築きなおして満濃池という、ほとんど湖ともいうべき当時の日本で最大の池をつくる工事の監督をしたことは、諸記録でうたがいを容れにくい」と、司馬さんは書く。「その満濃池が、いまも野をうるおしている」と。

 『空海の風景』には、唐への留学前は無名の僧だった空海が、いまや地方長官や国司に乞われ、朝廷から「築池使」(ちくちし)に任命されて故郷の池の築堤にあたる経緯が描かれている。

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