失敗の責任を誰が取るのか、日本企業の落とし穴

失敗の責任を誰が取るのか、日本企業の落とし穴

iStock / Getty Images Plus / SIphotography

日本企業のなかでは、なかなか本気で議論することができない。議論の場を与えられていないというよりも、議論するムードが醸成されていない。議論は「対事型」(What)でなければならない。それが「対人型」(Who)に転じた時点で、対立が生まれ人間関係に亀裂が入る(参照:日本企業が「議論」を封殺する本当の理由)。「和を以て貴しと為す」を基調とする日本型の共同体では、人間同士の意見対立が「和」を壊す元となるが故に、議論が忌避されてきた。

■「和を以て貴しと為す」の誤解

「和を以て貴しと為す」。聖徳太子が制定した十七条憲法の第一条に出てくる言葉だが、一般的に「皆で仲良くやろう」と訳す人が多い。果たしてそうだろうか。

 十七条憲法の第十七条では、「十七に曰く、夫れ事は独り断ず可からず、必ず衆と与ともに宜しく論ずべし。少事は是れ軽し、必ずしも衆とす可からず、唯だ大事を論ずるに逮およんでは、若もしくは失有らんことを疑ふ。故に衆と与ともに相ひ弁ず。辞じ則ち理を得ん」と記されている。

 現代語に訳すと、「第十七条 国家の大事は独断せず、必ず皆で合議せよ。些事は軽き故に必ずしも合議せずともよし、されど大事を論ずるに至っては、少しの過失有るを恐る。故に皆で十分に論議を尽くすべし。さすれば、その結論は必ず道理に通ずるであろう」となる(高島米峰著『十七条憲法略解』、安岡正篤著『人生の大則』)。

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