30年前天安門事件に遭遇した日本人として言っておきたいこと



 一方、胡耀邦主席は若い学生達に人気があったので、主席は共産党幹部からは目をつけられていたようです。

 ところが1989年4月8日の政治局会議で熱弁を振るった直後、心筋梗塞のため倒れ、一旦は意識を取り戻したものの2回目の発作を起こし、4月15日に死去してしまいました。

 その後、胡耀邦追悼と民主化を叫ぶ学生デモは激化していきました。

 予想外の展開でしたが、五・四運動の70周年記念日にあたる5月4日には北京の学生・市民10万人がデモと集会を行いそれが第二次天安門事件(第一次天安門事件は、1976年4月5日、周恩来の追悼に集まった市民との政府の衝突した事件を指す)へと発展していきました。

 ここで趙紫陽総書記も学生運動に同情的な発言を行ったことで、ケ小平ら長老たちは鎮圧路線を妨害するものとされて失脚させてしまいました。

 そんな背景から群衆は胡耀邦主席の死を悼み学生たちが中心となって追悼デモが行われたのです。

 集まった学生・市民は政治活動の自由を認めないケ小平に対する怒りを爆発させ、騒乱状態となっていきました。胡耀邦に代わって総書記となっていた趙紫陽は学生の要求を聞こうとしましたが、暴動化した群衆を説得することはできず、ついに中国人民軍が出動し、暴動は鎮圧される流れとなりました。

関連記事(外部サイト)