30年前天安門事件に遭遇した日本人として言っておきたいこと



 ケ小平は、事件を「動乱」ときめつけ、趙紫陽に学生運動を抑えられなかった責任をとらせ、辞任させました。

 これが第二次天安門事件であり、ケ小平の改革が経済の自由化に限ったものであり、政治の自由化は否定され、共産党一党独裁の元での改革開放という方向が明確になった歴史でした。

 その後は辞任した趙紫陽に代わって江沢民が総書記となり、ケ小平路線が継承されました。

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