銀のさら社長怒らない経営≠フ原点・名門校から進学せず渡米

銀のさら社長怒らない経営≠フ原点・名門校から進学せず渡米

江見朗さん(筆者撮影)

宅配寿司「銀のさら」などを運営するライドオンエクスプレスグループ。同社の江見朗社長は社員教育において怒らない経営≠モットーにしており、「銀のさら」「釜寅」などのグループの店舗数は700店を超えるなど事業は好調だ。江見社長は名門・岐阜高校を卒業後、同級生の中で唯一大学進学はせず、単身ロサンゼルスへ渡米。その後現地で寿司職人として過ごす経験などを経て、いまの仕事に至る。青春時代の経験が、今につながっているという。

 今、どんな家庭の郵便受けにも宅配寿司の銀のさら、また釜めしの釜寅のメニューがポスティングされ、利用された読者も多いのではないか。和食でこれだけの規模のデリバリービジネスを築いた、ライドオンエクスプレスホールディングス社長で怒らない経営≠ナも有名な江見朗さんに岐阜高校在校時について聞かせてほしい――と話を切り出すと、たまたま入学できただけだと、岐阜県が往時敷いていた学校群制度について語り出した。

 学校群制度は岐阜高のあった岐阜学区と、大垣北を筆頭校とする西濃学区で1974年から82年まで行われていた。むろん目的は、突出した進学校に学力の高い生徒が集中しないようにする配慮。東京をはじめとし、千葉や福井、岐阜とは隣り合わせの愛知や三重県でも導入していた制度だ。

 「当時の岐阜学区は5群まであってね、岐高(ぎこう)は学区内2番手の加納と組む5群と、長良高校と組む1群とあり、僕は本来なら長良に行くはずが、縦割りのシャッフルでそういう結果になったんです。

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