銀のさら社長怒らない経営≠フ原点・名門校から進学せず渡米

環境が大事なんだとね。頭いい連中って、勉強はできるけど、意外といろんなことを知らないんです(笑)。

 部活はせずに帰宅組でした。中1から格闘技をやってたんで。空手に少林寺拳法…アメリカに渡った後も25歳までは続けてました。幼少の頃はひ弱でね。逆上がりも腕立て伏せもできず、小学校で友達に鉄棒を教わるうち、真っ暗になってしまい、捜索願が出されたこともありますよ(笑)。

 ぼくはブルース・リー世代。『燃えよドラゴン』以来夢中になって、たぶんブルース博士として、日本でも指折りじゃないかと思ってます(笑)。ブルースは単なるカンフー映画のスターじゃなく、人間の可能性にとことん挑んだ人で、いまだに崇拝してます。人種差別傾向の強いハリウッドに挑戦し、出世作の公開前に死んだ。ジェームズ・ディーンや赤木圭一郎を彷彿もさせるけど、自分しかできない表現を追求した、唯一無二の存在だと思っています」

 江見さんが中学入学時、1973年に公開されたのが『燃えよドラゴン』。これがリーの公式には最後の出演作だ(製作半ばで亡くなり、撮影済みのフィルムをなんとかつないだ『死亡遊戯』が78年に公開)。本国香港を除いては、死後にそれ以前の主演作が次々に公開されるという現象が起きた。

 私も幼心にあの熱狂を鮮烈に記憶している。玩具のヌンチャクをよく振り回しては、母に叱られたものだ。

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