日本に対し「不当の扱い」を繰り返してきたロシア

日本に対し「不当の扱い」を繰り返してきたロシア

写真:ロイター/アフロ

安倍首相がプーチン大統領との“個人的信頼関係”を打ち出しながら鋭意進めてきた北方領土返還交渉は、楽観と悲観の間を揺れ動きながら時を重ねてきた。だが、6月末の大阪におけるG20を前にしてプーチン大統領は唐突に「ニエット」(ロシア語で「いいえ」の意)である。“期待の風船”は一気にしぼんでしまったようだ。

 これまで日本はロシア(ソ連)から何回煮え湯を飲まされてきたことか。その原因は、いったい、どの辺りにあるのか。戸水寛人(文久元=1861年〜昭和10=1935年)の旅を追いながら考えてみようと思う。

 戸水は日露戦争直前の1902(明治35)年9月に東京を出発し、敦賀からウラジオストック、グロデコフ、ハルピン、旅順、ダルニー(大連)、旅順、芝罘、牛荘、錦州、山海関、秦皇島、山海関、天津、北京、張家口、ハノルパ、トウタイ、チャーカントラハイ、張家口、北京、天津、芝罘、仁川、京城、仁川、釜山、長崎、門司、神戸を経て11月に新橋に帰着している。まさに駆け足で「滿州蒙古北清朝鮮を漫遊し」ている。

 旅立ちに当たり「若し日本の政治家が私の議論を用ひずして兵力を用いることを止めて唯言論を以て露西亜と争ふ積りならば或は失敗に終るでせう」と宣言するほどだから、旅程を追うごとに戸水の主張はヒートアップするばかり。だが、日露戦争前夜の旅であることを予め承知しておいてもらいたい。

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