「全体がひとつの旅館」でまちおこしに成功した城崎温泉

「全体がひとつの旅館」でまちおこしに成功した城崎温泉

「全体がひとつの旅館」でまちおこしに成功した城崎温泉の画像

実は、浴槽制限には昔からの城崎温泉の哲学が隠されている。「まち全体がひとつの旅館」という考え方だ。それぞれの旅館は「客室」で、駅が「玄関」、道は「廊下」、土産物屋は「売店」で、外湯が「大浴場」。スナックやバーもまちなかに並ぶ。

 有名温泉地の大ホテルによくある、スナックやカラオケからラーメン屋まで館内にそろっているというスタイルとはまったく逆なのだ。温泉街全体が豊かになり、まちとして活気にあふれることで、皆が潤う。そんな「共存共栄」が基本になっている。

 このコンセプト、昨日今日に始まったものではない。大正14年、1925年5月に発生した北但(ほくたん)大震災によって、城崎の温泉街は完全に破壊され、発生した大火によって、ことごとく焼失した。当時の温泉旅館の主(あるじ)たちは、街路を整備し、元の木造建ての旅館を再建すると共に、共存共栄のルールを決めたのだ。今も、まちなかには「共栄なくして共存なし」といったキャッチフレーズが貼られている。

 そんな城崎のコンセプトが、ここへ来て新たな花を開き始めている。まちなかに新しいお店が次々とオープンしているのだ。老舗旅館を継いだ若手経営者を中心に、自分たちのまちに「再投資」するようになっている、というのだ。大きなきっかけは、外国人旅行者の急増だ。世界の観光地としてどう城崎温泉を磨いていくのか。そう考える経営者が増えているという。

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