米の「標的殺害」、イエメンでは失敗、ソレイマニ暗殺は広範な作戦の一環

1957年生まれとされているが、その素顔を謎に包まれている。

 同司令官の暗殺失敗を特ダネとして報じたワシントン・ポストは「ソレイマニ殺害は公表されたより大きな作戦の一環」と指摘、米国が相当前から周到な計画を進めていたことを示唆した。ニューヨーク・タイムズはソレイマニ暗殺計画が実際に始動したのは昨年5月、ペルシャ湾で日本船籍のタンカーなど4隻が何者かの攻撃を受けた直後からと伝えている。

 当時の対イラン強硬派のボルトン大統領補佐官(国家安全保障担当、解任)は国防総省や情報機関に対し、イラン攻撃のオプション策定を命令。提出された作戦の中に、ソレイマニ司令官らの暗殺も含まれていた。その後、特殊作戦軍と中東を統括する中央軍がソレイマニ司令官の追跡と監視を始めた。

 しかし、司令官はレバノンの武装組織ヒズボラと一緒にいることが多く、ヒズボラを巻き込めば、イスラエルとヒズボラの戦争に発展することを懸念し、慎重な対応を迫られていた。そうした状況下でも、シリアやイラクの米スパイ網から司令官の行動が逐一報告され、また今回は司令官とイラクの民兵組織「カタエブ・ヒズボラ」の交信を情報機関が傍受、米国への攻撃計画が進められていることをつかんだ、という。

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