「アイリッシュマン」その表現と感動

「アイリッシュマン」その表現と感動

写真提供(Netflix映画「アイリッシュマン」独占配信中)、以下同

映画というのは結局、役者の表現力に尽きる。公開中の映画「アイリッシュマン」を見てそう思った。

 トラック運転手から殺し屋、マフィアの腕利きになっていくアイルランド系の男を主人公に据え、彼のモノローグ、心の声で彼自身の半世紀を振り返る物語だが、一番の見せ所は主役のロバート・デ・ニーロともう1人の主役でデ・ニーロのボス役、俳優、ジョー・ぺシの演技だろう。

 主役はさらにもう1人、労働組合のボス、ジミー・ホッファを演じるアル・パチーノがいるが、やはり、現実の世界でも仲の良い2人、デ・ニーロとぺシの掛け合い、2人から醸し出される腐れ縁、ときに恐怖、畏怖をはらんだ友情がある種、人生の儚さ、虚しさをも描いて、見る者に響く。

 儚さとは、例えば、名前を失念したが「1日は長い、でも1年は短い」というある老人の言葉に端的に表れている。

 彼らはただ悪事を働きたいから、働いてきたわけではない。なにがしかのきっかけから、悪事に手を染め、もともとの度胸の良さ、開き直り、悔いにとらわれない潔さ、常識的なモラルの欠如、唯我独尊を同時に備えた彼ら特有の気質が、犯罪者としての彼らの生き方をたまたま規定したに過ぎない。

 コンピューターグラフィクスなどの技術で、彼らは30代から70代までを視覚的に見事に演じているが、やはり映画の見せ場は、老いぼれになった彼らを映し出す最後の50分だ。

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