命の〈価格〉はどのように決められるのか? 日常的につけられている人命の値札と公平性 【橘玲の日々刻々】

命の〈価格〉はどのように決められるのか? 日常的につけられている人命の値札と公平性 【橘玲の日々刻々】

Photo :Kostiantyn Postumitenko / PIXTA(ピクスタ)

新型コロナのような感染症が蔓延して患者が病院に押し寄せると、すべてのひとを治療できず、誰を優先し誰を後回しにするかのルールを決めなくてはならなくなる。日本ではこのトリアージを正面から議論することを嫌い、病院の恣意的な判断を行政やメディアが黙認する不健全な状態が続いているが、日本よりはるかにリベラルな北欧やオランダなど北のヨーロッパでは高齢者に対し、「コロナに感染してもあなたは入院治療を受けることはできない」と通告している。

 アルツハイマー型認知症の新薬がアメリカで条件付き承認されたことが大きなニュースになったが、治療費用は年間600万円かかるという。超高齢社会に突入した日本では、今後、認知症患者は確実に増えていくが、この新薬を保険適用して、巨額の財政支出で(あるいは増税して)治療費用を国が負担すべきなのだろうか。

 このように、生命や健康の議論は金銭問題に直結する。トリアージとは、費用対効果の高い患者(若者)への治療を優先し、費用対効果の低い患者(高齢者)を後回しにすることだ。医療のコストとリターンを考えればこれは理にかなっているが、受け入れるのに躊躇するひともいるだろう。

 誰もが目をそらしているこの問題に正面から向き合ったのが、ハワード・スティーヴン・フリードマンの『命に〈価格〉はつけられるのか』(慶応義塾出版会)だ。

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