有働時代の 「あさイチ」 報道番組に今、大きく欠けている ジャーナリズム精神を問う

文=水島宏明

放送法改正問題を
なぜテレビは伝えない?

 3月中旬、共同通信の配信記事が放送業界を大いに揺るがした。安倍政権が放送制度の規制緩和で放送法4条の「政治的公平」の義務などを撤廃するという。その後も新聞各社や共同の続報などで、安倍政権がネットと放送の垣根をなくし事実上放送という制度をなくす、NHKは残し民放はなくす方向と伝えられた。

 もちろん民放にとっては大問題だ。キー局はともかく、地方民放局は大半が倒産してしまう。キー局にしてもそもそも放送法という規範を撤廃してしまってはこれまでのように信頼に足る報道番組などを国民に届けられるのか疑問がわいてくる。

 放送での公平原則を以前は持っていたものの撤廃された米国では、トランプ政権の元で相当数の地方局がトランプ氏に近い企業の傘下に下り、トランプ政権を批判する三大ネットワークに対して、キャスターたちが「フェイクニュース」だと一字一句違わずに攻撃。呪文のような放送を行っている。昨年、日本でもTOKYO MXが、ネット番組としても展開する「ニュース女子」が裏づけをきちんと取っていない番組を流して社会問題になったが、規範の重しが消えればフェイクニュースが一気に増加する恐れが出てくる。実際、民放キー局の社長会見では政府方針を批判する声が相次いだ。

 だが、視聴者向けに伝える放送のなかでは、放送法の制度改革問題を識者らの声を交えて時間をかけて議論するテレビの報道番組は皆無だった。わずかにラジオで特集する番組がいくつか存在した程度だ。

 何を躊躇しているのだろうか。国民の知る権利にも直結する大問題なのにもかかわらず、正面から取り上げない。政治的な忖度でもしているのだろうか。

 今回は報道番組そのものというよりも、ある情報番組が、本来なら報道番組こそ発揮すべきジャーナリズム性を示した例を振り返りつつ、今の報道番組全般に欠けているものを「喝!」と叱ることにしたい。

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