吉田義人「実業団の伊勢丹時代は自分の余暇の時間にラグビーの練習をしていました」

吉田義人「実業団の伊勢丹時代は自分の余暇の時間にラグビーの練習をしていました」

日本初のプロ選手に(吉田義人=右)  (C)ロイター/Action Images

吉田義人(元日本代表・50歳)

【日本ラグビーのレジェンドが語る】

吉田義人さん(元日本代表・50歳)

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 明治大のスター選手が伊勢丹に入社! いろいろ物議を醸した選択だったが、当時の日本ラグビーを取り巻く環境などについて本音で話してもらった。(取材・文=フリーランスライター・中山淳)

 明治大学4年の時、キャプテンとして臨んだ大学生活最後の大学選手権で優勝を果たし、いただいていた数々のオファーの中から、急速に実力をつけていた伊勢丹に入社することを決めました。

 当時のラグビー界は完全なアマチュアの時代でしたが、海外にはラグビーリーグと呼ばれるプロ選手で構成された13人制ラグビーの競技団体もありました。

 日本にも海外と同じようなプロリーグがあったら、その道を選択していたかもしれませんが、当時、日本にはラグビーユニオンと呼ばれる15人制アマチュアリーグしか存在していませんでした。

 だから、伊勢丹に入社してからは、朝から他の社員と同じように働き、会社の定休日だった水曜日の日中と閉店後の平日の夜という、自分の余暇の時間にラグビーの練習をする生活でした。

 そもそも、社会人になる前から、日本独特の実業団スポーツの在り方には疑問を持っていました。

 普通、企業に入社したら社業に従事することで報酬を得るわけです。実際、僕も伊勢丹の社員として働くことによって給料をもらっていました。

■アマチュアを逸脱

 しかし、社会人になった1991年ごろには、アマチュアのはずのラグビーの世界でも、企業によってはラグビーをすることでサラリーをもらう選手も現れ始めました。

 福利厚生から発展してきた実業団スポーツが、広告宣伝費が投入されることで「チームが強くなって試合に勝たないと企業の宣伝にならない」と環境が大きく変化していったからです。

 こうなると「選手は就業時間を減らしてもいいから練習に精を出してくれ」ということになります。もはやアマチュアのレベルを逸脱した形態となっていったのです。

■日本でもプロ容認

 伊勢丹に入社して9年後の00年。会社の事情で予算縮小、強化中止となって突如リーグ撤退を言い渡されました。

 プロの道を模索し、フランス1部リーグのコロミエと契約して日本人初のプロ選手になりました。

 世界のラグビー界では、僕にとって2度目のW杯となる95年大会以降、南半球の強豪国を中心にプロ化がスタートしていましたが、当時の日本は、プロ契約が認められていませんでした。

 ところがフランスに渡って10カ月ほどすると日本ラグビー協会から連絡があり、日本で開催する7人制ラグビーの国際大会・ワールドセブンスシリーズで「日本代表にキャプテンとして復帰してほしい」と要望があったのです。フランスのチームに所属しながら日本代表でプレーすることが認められました。つまり、日本でも、ラグビーのプロ選手が容認されたのです。

 このことは、日本ラグビー界にとって変革の第一歩になったと思います。(つづく)

(取材・文=フリーランスライター・中山淳)

▽よしだ・よしひと 1969年2月16日生まれ。秋田・男鹿市出身。秋田工から明治大。19歳で日本代表入り。代表キャップ30。伊勢丹ラグビー部主将。31歳でフランスに渡って日本人初のプロラグビー選手に。筑波大・大学院で修士号取得。横河電機ヘッドコーチ、明大ラグビー部監督を歴任。現在は日本スポーツ教育アカデミー理事長、7人制「サムライセブン」監督。

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