アテネ五輪競泳で銅メダル 中西悠子さんは3児のお母さんに

アテネ五輪競泳で銅メダル 中西悠子さんは3児のお母さんに

中西悠子さん(提供写真)

【あの人は今こうしている】

 いよいよ9カ月後に迫った東京五輪。日本代表選手の最終選考に注目が集まるが、本日登場の中西悠子さん(38)は、競泳・バタフライ選手としてシドニーを皮切りに、アテネ、北京と3回連続出場。アテネでは銅メダルを獲得したトップアスリートだった。引退は2010年4月。さて、今どうしているのか?

  ◇  ◇  ◇

「小1の7歳、保育園に通っている5歳と3歳の母ちゃんになりました。3兄弟なんで、炊事、洗濯、掃除、それにケンカの仲裁に毎日追われてます。その合間に、14歳からお世話になってる枚方スイミングスクール(枚方市)とその系列校で水泳教室のコーチを週に2回。そしてマネジメントをしてくれてはる吉本興業からスポーツイベントの仕事。ホンマ、忙しいですわ」

 大阪・難波で会った中西さん、こう言って笑みを浮かべた。現役時代は肩までの茶髪ヘアだったが、すっきりしたショートヘア。お母さんだからか、目元が優しくなったように見える。

「スクールは、シニアとレディースコースの担当です。中には87歳の超元気な女性会員さんもいらっしゃって、私がパワーをもらってるくらい(笑い)」

 スポーツイベントは、自治体や企業、各種団体からのオファーに加え、「吉本発!笑スポ!水泳クリニック」という吉本芸人を交えた「笑いと水泳のコラボ」(中西さん)の2本立て。11月3日にも奈良県大和郡山市のスイムピア奈良で予定されているが、公募直後にソールドアウトになった人気企画だ。

 後進育成は?

「そんな声もいただいてます。でも育児に手いっぱいで、今は無理ですね。選手にちゃんと向き合うとなると、夕方から夜にかけて家を空け、日曜祝日も返上。家族の負担は半端やないんです。それに何よりスイマーの人生を左右しますから、おいそれと引き受けられません」

現役時代は1回1万メートルを1週間に10セット

 さて、大阪・池田市生まれの中西さんは、水泳好きの母に連れられ、0歳でベビースイミングに参加。7歳から本格的に競泳を始め、中学2年の時に初めて全国大会で優勝するや、高校1年で日本代表に選出。近畿大学進学後、19歳でシドニーオリンピックのバタフライ200メートルに出場した。

 そして自己ベストを記録して7位入賞。その後、02年のアジア競技大会で優勝、03年には世界水泳選手権で銅メダルを獲得。満を持して臨んだのが04年のアテネ五輪だった。

「決勝のプレッシャーいうたら、今までの人生で一番大きかったですね。それでも調子がとても良くて銅メダル。表彰台には何度も上がってるんですが、五輪は見える景色が違いました」

 だが、いまひとつ納得できなかった。

「自己ベストやないのがね。調子がいいから、『もしかしたら6秒台も!』ってコーチと話してたのに記録は2分08秒04。それで、次の北京(五輪)は記録を狙っていこう!と」

 その後、05年の世界選手権でも銅メダル。もちろん国内では無敵。だがさらなる進化を求めて、泳法を変えることにした。

「基本は、なるべく力を使わないで、楽に速く。それと、いかに上下動をなくして水の抵抗を軽減するか。頭と手の入水角度、キックのタイミング……。他にもたくさん要素はあるのですが、ライバル選手たちを研究して“いいとこ取り”しました」

 自他ともに認める練習の虫。1回の練習で1万メートル泳ぐのはザラ。それを1週間で10セット以上こなしたことも。

「その頃は歩くより泳いでる距離の方が長かった。健康には良くないですよ(笑い)」

 そんな努力が実り、08年2月の日本短水路選手権で短水路世界記録、続く4月の日本選手権では100メートルと200メートルで日本新記録を樹立。だが、「銅より上」(中西さん)を目指した8月の北京五輪は思うようにタイムが伸びず、200メートル5位入賞で幕を閉じた。

 そして10年4月に引退し、翌11年9月、水泳が好きな6歳年下の一般男性と結婚。今は年齢区分がありタイムより楽しむことや健康増進を目指すマスターズ水泳に登録し、年に数回、大会に参加している。

「出るのはもっぱら50メートル。一度、試しに200メートルの部に出たらシンド過ぎて、泳ぎながらすごい後悔しました。アハハハ」

 大阪らしい明るいキャラ。これからも水泳とともに歩む。

(取材・文=高鍬真之)

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