プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「テリー・ファンク」八面六臂の活躍を続けた“テキサスの荒馬”

日本プロレス史上で最も高い人気を誇った外国人レスラーの1人、テリー・ファンク。実兄のドリー・ファンク・ジュニアと組んだザ・ファンクスとしての活躍は言うまでもなく、シングルマッチでも印象深いファイトを残している。

 まだインターネットもなく海外の試合を見ることが容易ではなかった時代、日本で大人気を誇っていたテリーが、実はアメリカでは悪役扱いだと知って驚いた昭和のファンは多いだろう。

「海外のプロレス専門誌に掲載されていたレスラーランキングで、テリーはヒール部門の上位常連。どうやら日米のマット事情は相当違うらしいと、複雑な思いを抱いたものでした」(プロレスライター)

 とはいえ、土地柄や場面によって善悪が異なること自体は決して不思議ではない。例えば、トランプ米大統領が同じような悪態をついても、支持者の集会なら大喝采のヒーロー扱いであるが、民主党支持者から見れば希代の大悪役となる。

「テリーにしても別にアメリカで、アブドーラ・ザ・ブッチャーばりの凶器攻撃をしていたわけではない。そのキャラクターはアメリカ南部の貧しい層を出自とする、良く言えば活きのいいアンちゃん、悪く言えば乱暴者のチンピラで、荒っぽいファイトスタイルは日本とアメリカで大きく違わなかった。地元テキサスなどでは人気者だったが、黒人やメキシコ人が多い土地では敵視されたというわけですね」(同)

 日本においてはザ・ファンクスとしての活躍が、ベビーフェイス人気を確固たるものとした。

「やんちゃな弟と冷静沈着な兄という取り合わせが絶品で、もしもテリー単体だったら、テッド・デビアスとかボブ・オートン・ジュニアぐらいの評価に留まったかもしれません」(同)

 ドリーとテリーをそろって招聘したことは日本プロレス時代にもあったが、ジャイアント馬場はブッチャーという悪役をこれにぶつけた。馬場のマッチメーカーとしての手腕が、空前のテリー人気を生み出したとも言えようか。

 一方、シングルプレーヤーとしては、むしろ90年代以降の方が印象深いというファンもいるだろう。
“いかれた中年”のあだ名でWCWやハードコア団体ECWで大暴れし、WWFには“チェーンソー・チャーリー”のリングネームで参戦。日本でもFMWで大仁田厚と電流爆破デスマッチを闘っている。

★鶴田戦で見せた世界王者の力量

 では、それ以前のテリー単体がダメかというと、もちろんそんなことはない。'75年12月にジャック・ブリスコを破ってNWA世界王座(第51代)を獲得すると、'77年2月、ハリー・レイスに敗れるまで1年2カ月にわたって全米各地で防衛を続けた、名実ともに一流のレスラーであったのだ。

 そんなシングルプレーヤーとしてのテリーの実力を示したのが、日本で唯一となったNWA王座防衛戦。'76年6月、蔵前国技館でジャンボ鶴田を挑戦者に迎えた試合であろう。

“鶴田試練の十番勝負”の第3戦に位置付けられたこの試合。鶴田を応援するため、観客席ではトミーズチアガールズなる約30人がポンポンを振り、母校・中央大学の応援団が三々七拍子のリズムで太鼓を鳴らして、鶴田コールを送った。
 そんな完全なるアウエーにあって、テリーは“攻めまくる攻撃一辺倒のチャンピオン”と自称していた通り、ロックアップからの首取りやグラウンドでの腕固めと、常に先手を奪いながら試合を進めていく。代名詞的な左パンチを出すことなく、あくまでもレスリング技術で鶴田を追い詰める姿は、まさに世界王者にふさわしかった。

 1本目は一瞬の隙をついた回転エビ固めで奪われたが、2本目に入るとパイルドライバーやネックブリーカー、場外でのドロップキックで畳みかけ、苦し紛れに鶴田がコブラツイストに入ろうとするところを、テリーはオリジナルのローリング・クレイドル・ホールドで捕らえてみせた。

 そうして迎えた3本目は鶴田の大反撃。早々からコブラで締め上げ、サイド、ダブルアームのスープレックス、ジャーマンが崩れたふうのバックドロップと、立て続けに大技を繰り出していく。

 しかし、テリーはそんな勢いに乗る鶴田の喉をロープにぶち当て、悶絶するところをピンフォール。地元ヒーローに見せ場をつくりつつ、偶然のように勝利するという当時のNWA王者一流のやり方で、ベルトを守ってみせたのだった。
「この試合に感銘を受けて天龍源一郎がプロレス入りを決意したというテリーの隠れた名勝負です」(同)

 また、この試合でテリーがはいていた星条旗パンツは、当時のアメリカ建国200周年を記念したもの。これをプレゼントされた鶴田が、その後に星条旗パンツをはくようになったという、その意味においても記念すべき一戦であった。

テリー・ファンク
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PROFILE●1944年6月30日、米国インディアナ州出身。身長188㎝、体重118㎏。
得意技/ナックル・パート、スピニング・トーホールド。テキサス・クローバー・ホールド

文・脇本深八(元スポーツ紙記者)

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